sigh of relief

くたくたな1日を今日も生き延びて 冷たいシャンパンと 届いた本と手紙に気持ちが緩む、 感じ

靴下を編める人に

 

最近、長年憧れながら諦めてた棒針編みの靴下を何ヶ月もかけて理解して練習して編むようになったのだけど、先日、映画館でドキュメンタリー映画を見ながら、ふと、わたしは靴下が編みたかったのか、靴下を編める人になりたかったのか、どっちがより近いだろうと思った。


不幸だった頃は、出自や家庭環境などの運命はもちろん、それを克服できなかった自分を恥じていて、なりたい自分に少しでもなりたいと切実だったけど、不幸でなくなってからそういうこと自体を全く考えなくなっていた。
その頃のなりたい自分には多分半分くらいはなってて(ああ、痩せたい!という望みだけは未だうまくいってませんが笑)、残りの半分は別にもうどっちでもよくなったからかな。


もしかして「靴下を編むわたし」というのは、なりたい自分のバリエーションの一つで、「靴下を編みたい」より、そういう人になりたいということの方が大きかったのかもなぁと、60年代のファッションアイコンとなった人の、のびのびとした様子をスクリーンに見ながら不意に思ったのでした。映画の内容には全然関係ないんだけど、いや関係あるかな?

ドキュメンタリー映画を見ている時って、色々なことを思い浮かべたり考えたり思い出したりしがちです。

smallthings.hatenablog.com

 

まあ、不意にそんなことを思っただけで、実はどっちでも別に構わないのは、隠居としてノンシャラン力を身につけることができた成果か。